存在を知ったのは結構最近で
なんでこんな所に?と思いました。
板橋区にはいくつか街道が通っておりまして、その中の中山道沿いに都営三田線が通っております。そのためこの辺りは宿場だったところもありまして、板橋宿と呼ばれておりました。その中で東京寄りに平尾宿、仲宿、上宿と呼ばれていたそうです。仲宿は商店街として今も名前が残っていますがこのあたりはそんな要所だったわけです。ざっくり言いますと幕末の頃に近藤勇は流山に身を潜めていたのですがバレてしまい、板橋宿に連れていかれて処刑されたわけです。ですので基本的に縁もゆかりもない場所だったわけですがお墓はこちらに作られています。
それなりにしっかりしたつくりになっていますが、あの有名な近藤勇のお墓としてはちょっと小さい気もします。でも、明治時代には敵(幕府軍)のボスの一人でしたから、それなりに扱われたでしょうが大きなお墓を作ったりする事は出来なかったんでしょうね。結構ちょっと後になると評価が変わるという人もいますが、そういう扱いなんでしょうね。幕末のドラマやゲームなどを見たりやったりすると立場によって見え方が変わりますので仕方ない部分もあるんでしょうね。
少し新しい石碑に近藤勇の絵が彫ってありました。この姿はよく見ますね。佐幕派の中でもゴツめな武人としてのイメージが強い方です。
大きめなお墓がありまして、左にも大きな石碑があります。
左の大きな石碑は永倉新八の墓、と書いてあります。新選組二番隊隊長、最終的には近藤勇とは袂を分かつ事になるそうですが後にこちらの近藤勇のお墓を作ったそうです。新選組の中でも剣の達人として有名な方で、ウィキペディアにも結構な逸話が書いてあります。
やっぱり同志のそばで眠りたかったんでしょうね。でもこのデカさでは近藤勇の墓を越えるぐらいのサイズなのでやっぱり俺が俺が的な方だったのかもしれないです(笑)
こちらが近藤勇の墓です。実際に斬首され首から下はこちらの地に埋葬されたそうです。土方歳三の名前も書かれていますがここに埋葬されてはいないです。土方は函館の戦闘で亡くなったそうですが、やはりここをお墓としておけばゆかりの人がお参りに来れるので新選組のファンの方はありがたいですよね。
ここには近藤勇像も設置されています。ちょうど見学に来られていた方がこの像をジーっと見ていました。分かります、幕末のゲームをやった際に佐幕派のキャラクターでゲームを進めていた際に近藤さんはホントに凄い人でした。何と言いますか、そういう感情移入みたいなのってありますよね(笑)あのゲームは実際に佐幕派と倒幕派の気分になって物語が進んでいくので知識というか感情的なものがグイグイ来ますね(笑)
今でこそ明治時代の街並みは分からないですが実際にここに近藤勇が埋葬されていた事は事実みたいです。埋葬当初の墓石が残っています。
よく見る似顔絵も飾ってありました。
いたずら防止のためネットがかかっていて、見づらいのですが何となくリアルですね。
文字も書いてありますが読みづらいです(苦笑)
別途ちゃんと説明書きがありました。ここは板橋駅のすぐ前ですが滝野川なので北区なんですね。見ますと処刑された場所はここでは無いのですが、少し移動した場所に首以外が埋葬されたそうです。永倉新八は戦術方針の違いで袂を分かったが、と書いてありますが晩年は同志だった新選組の供養に努めた、と書いてありますね。元々は志を同じくした仲間ですからね。無念だったんだと思います。
キレイにしてありますがひっそりとした場所なんですよね。そういうところも武骨というか近藤さんに合っているような気もします。
江戸時代はこの辺ももっと建物も少なくて野原みたいなところだったんじゃないか、と思います。少しは賑やかになったと思いますが静かに過ごすには悪いところでは無いので気になる方は行ってみていただきたいと思います。