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本丸跡【皇居東御苑】

門を抜けて番所を抜けて
それでもまだ本丸には到着しません。

百人番所の前には中之門があります。現在は石垣だけですがそれでも『こんなデカい石垣ってヤバイ』と思うはずです。ここに使われている石が一番大きいみたいですね。 

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100人追いかけてきて門が閉まっていたらそこでアウトですが、なぜか開いていたとすると後は登っていけば本丸にたどり着けます。ですがここにも最後の番所、大番所があります。ここには前の2つの番所より偉い人が入っていたそうです。3つも番所があったら多分心が折れますね(泣)まあ、ここまで来る敵がいたらかなりヤバいでしょうけど安心感はかなりありますね。
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この先も石垣に囲まれていて、途中には門もあったそうです。しかも上り坂なのでかなり防御力があった事が分かりますね。歩いてもキツイのにここを攻め込んでいくとなったらここまで見れてないですもん。あらかじめ忍びの者が内偵していても『あそこは無理ですよ、絶対』といいそうですね。
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ここまで江戸時代に江戸城に侵入する、というテイでお話していましたが(苦笑)現在はどうなのか?というところもちょっと気付きました。今は開放されている、と言っても夜間は門が閉められていて入る事が出来ないですので色々なところにある排水溝などにはこんな感じに印が付いています。
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多分この中に隠れたり、何か物を入れたりする事があっても分かるように封がしてあります。ここしか撮りませんでしたがどこの排水溝を見てもこのようになっているのが凄いですね。原始的ではありますが一番よく分かるので警備の人もチェックするのに良いですよね。子供さんがシールだと思って間違って剥がさないようにしてくれれば幸いです(苦笑)
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それでは坂道を登って本丸跡まで進んでいきましょう。こういうカーブや先が見えない道を見ると『さすが城跡だ』と分かるようになってきましたよ(笑)
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江戸城の本丸跡ですが、現在はこんな感じの広場になっています。何かイメージとは違いますよね。
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本丸は現在無いのですが、地震や火事などで何回も焼失したり倒壊しています。昔の火事は燃えそうなところを先に壊して延焼を食い止めるという、なかなか男らしい消火方法で今のように水をかけて消すという考えじゃなかったんですよね。そのせいでちょいちょい火事があり、そうなると壁を壊して、としたいところですが江戸城は『ここは壊しちゃダメ』などがあるせいで全焼するしかない感じになっていたみたいです。そんな感じで江戸時代が終わるので『もう本丸はいいよ』となったかと思います。
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そうはいっても人数もいるのでバケツリレーでもすれば、と思うかもしれませんがこの広さで平屋の建物があり、あっちが大奥だなんだ入り組んだつくりになっていたら逃げてくる人だけでも結構な数ですし身分の上下もあるのでこっちに逃げろ!、いや逃げてください、なんて言ってられないですよね(苦笑)
いまさらアレですが、一つ一つ建物を離して橋でつなげるとかして有事には橋外すとかにすれば燃え広がらなかったかもしれないですけどミチっとしたつくりにしたかったんでしょうね(苦笑)
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その頃の本丸はどんな感じだったのか?が書いてある石碑があるのですが、どっかで火事なら全焼間違いなしって感じのつくりですね。江戸時代も結構地震がありましたら、こちらが原因で倒壊という事もあったようです。避難場所は結構あると思いますが今のように免震構造なんて出来なかったでしょうから大変だったでしょうね。
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本丸や天守閣が無いのは寂しいですが、構造上残すのが難しかったのはよく分かります。大きければ良いってものでもないんですね(苦笑)