カメラ屋元公式中の人 アオキのブログ

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京都・二条城。

京都といえばたくさんの世界遺産がある街ですね。

時間も限られてるので今回は厳選して行く場所を決めています。最近良く見ています大河ドラマで舞台になった場所を中心に周りますが最初の目的地は二条城です。 

www2.city.kyoto.lg.jp
先日もNHKスペシャルで二条城の特集をやっていましたが二条城といえばやはり大政奉還ですね。徳川慶喜公がここで大政奉還を決めた場所となっています。

大政奉還 - Wikipedia
 

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二条城、というぐらいですのでお城なのですが現在は天守閣が無いので大阪城や姫路城のような『お城』という感じがしないですね。二条城の築城については諸説あるみたいですのでなんともいえないのですが実際に使用されていたのは徳川時代と戦前、戦後に分かれるかと思います。 

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まず最初は征夷大将軍になった徳川家康が上洛した際に二条城に入ります。それまでは伏見城にいたみたいですがここで色々な式典と言いますか拝賀の礼という朝廷への挨拶を行ったり祝賀パーティーを行ったりするのに使いました。その後徳川家光までは将軍になった後にはここで拝賀の礼を行ったそうですけどその後は使わなくなったみたいですね。 

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家康の頃にあった大きな出来事といえば豊臣秀吉の子、豊臣秀頼と家康が対面したのもこの二条城です。真田丸でも描かれていましたがこの面会で『秀頼、このまま成長したら徳川家がヤバイ・・・倒すしかない!』となりまして大阪冬の陣と夏の陣が発生するわけです。 

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その後、しばらく二条城は使われなくなってしまいました。まあ江戸城がありますし将軍が京都に行くっていう事もあまり無いので二条城を使う機会がなくなってしまったわけですね。

徳川将軍家の京都の別宅みたいなものですから行かないなら行かないで痛んできてしまったそうですが幕末に向かうにつれて徳川家の権力が弱くなってくる頃に14代将軍の徳川家茂が上洛するにあたりキレイにしたそうです。この辺りは篤姫を見ていましたので上洛するあたりの事は知っていました。 

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家茂は上洛するのですが長州征伐のために大阪城に移動したところ病気になってしまい亡くなってしまいます。この後の将軍が徳川慶喜ですので江戸時代が終わる頃にもここは重要な場所となっているわけです。 

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そして徳川慶喜がここ二条城で上洛していた各藩の重臣を集めて大政奉還を決めるわけです。大政奉還は徳川が行っていた政治を朝廷に返上する事ですね。実際にその決断がされた広間には人形が置いてあり当時のイメージを見る事が出来ます。撮影禁止なので写真は無いですが行くと雰囲気が分かりますよ。龍馬伝を見てから行くと後藤さんはどこにいるのか探してしまいます(笑) 

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大政奉還後も二条城も色々ありまして大正天皇の即位の際に饗宴場として使用されたりしました。ですので色々なところに菊の御紋が付いています。 

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ただ、元々は徳川家のものでしたので色々な所に葵の御紋も残っています。このあたりも面白いですよね。リフォーム前の部分は徳川家、その後は朝廷用に直されているわけですから規模の大きな居抜きみたいな感じです。 

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建物の中の廊下は歩くと鳥の鳴き声のような高い音が鳴るようになっています。今は拝観料を払えば中も見学が出来るのですが日本の歴史に大きく関わったところをスリッパで見学するのは不思議としか言い様が無かったですね(笑)

こういうスケールの大きな建物が見学出来るのはさすが京都ですね♪ぜひ龍馬伝篤姫真田丸を見てから見学してみてくださいませ♪