しかし長い道のりでした。そこまで遠くないですが『なんにもない』所を通ってきたのでそう感じますね。
重忠橋を渡って真っ直ぐ進みますが何にもないところを歩いている感じです。少し家はありますがあんまり前に進んでいない不思議な気分です(笑)東京に住んでいるとこういうところは無いので何となく新鮮です。
少し歩いたところに看板がありました。周辺にお店などは全く無いのですが公園にもなっているので車で休憩している人もいるようでしたね。
畠山重忠公史跡公園、と大きい看板があります。やっと着いた、という気分でしたが看板の横にあるものに目が行きました。
あれ、バス停じゃないですかね?タイミングが合えば歩かないで済むかもしれない、と思いましたが人も歩いていなくてお店も無いのでバス停なんかありません(泣)ここは深谷市のコミュニティバスで予約して地元の方が使うバス停との事です。
ここも深谷市なのでこういうものにはふっかちゃんが描いてあるんですね。ふっかちゃんは昔から大好きな深谷のご当地キャラクターです。頭にねぎが刺さっていますが大変かわいいのでキャラクターグッズも持っていましたね♪
やっぱりここは観光地ではないのでちょうど行った時には『ガラーン』という感じの雰囲気でした。そのぐらいマニアックな史跡だと思いますよ。よく大河ドラマの題材にされるのは戦国時代で、あまり鎌倉とか平安時代の武士をクローズアップする事は無いですよね。最近やっと源平の頃の時代の面白さが少しだけ分かってきましたのでここにはぜひ行きたいと思っていたわけです。
公園内にこのあたりの案内地図がありました。こういうのは結構参考になるので置いてあれば必ずチェックしています。
この周辺のところを見ましたが・・・なんといいますか地味ですね(苦笑)この周辺でも鎌倉時代とか室町時代には争いごともあったと思いますが『桶狭間!』とか『関が原!』みたいなビッグネームは無いんですよね・・・。割と小粒な史跡はいくつかある感じですね。
この場で争いが行われたわけではありませんが畠山重忠公はこのあたりで生まれ育った鎌倉時代の武将です。最終的に42歳の時に神奈川の二俣川のあたりで戦に破れ亡くなっています。平安~鎌倉時代はホントにぐちゃぐちゃしているので裏切りだ謀略だで結構色々な方々が亡くなっています。そのあたりも『何となくとっつきづらい』というイメージになると思いますが重忠公は武勇にも優れていた武将です。
その凄さを具現化したものがこちらになります。
愛馬を背負う武将の銅像、これは物凄い迫力がありますね♪
別に『お前に乗るよりワシの方が早い!!』と愛馬を背負った、というわけではありませんよ(笑)そういった凄さをもう少し紹介させていただきたいと思います♪