カメラ屋元公式中の人 アオキのブログ

カメラ屋元公式中の人のアオキが旅行や買い物などについて書いております

【鎧兜の違い】平家の里を見学、その3。

こんな山の奥の集落にしては色々凄いものが出てきます。さすが平家の落人ですね♪

 

 こちらは調度営みどころ、と書いてありますが調度品の作成加工場をイメージしているようですね。 

f:id:naoyafs1:20180717122110j:plain

杓子の作る際に使う道具などが紹介されていました。いろいろな道具を使って仕上げていくんですね。お土産屋さんなどでこういうのを見ると何か欲しくなりますよね。実際家ではなかなか杓子って使わないですけどね(苦笑) 

f:id:naoyafs1:20180717122128j:plain

確かに民芸品として売っている杓子って滑らかですよね。よく考えてみると木から作るにはあの大きさに使える木を持ってきて大きさに合わせて切って削って滑らかにしてやっと使えるわけですからね。杓子の木、なんて物はないですからね(苦笑)

どうやって作るかが漫画になっていましたが分かりやすかったですね♪ 

f:id:naoyafs1:20180717122147j:plain

今は物がたくさんありますし、しかも使いやすいものがたくさんあるわけですから我々も不便無く暮らしているわけですが新幹線でアイスを買ったけどスプーンが無い、という状態だったら現在人はどうやって食べるのでしょうか?フタで・・・とか考えるかもしれませんが物は作らないと出来ないものです。たまにはスプーンへのありがたみを考えながらアイスを食べた方がいいかもしれないですね。まあそんな時代ならアイス自体が無いですけど(笑)

子供さんと一緒に見ると物の大切さとか現在の便利さがよくわかるかもしれないですね♪ 

f:id:naoyafs1:20180717122208j:plain

いくつかこういった調度品や使われていた古民具などが展示されています。乾燥されたとうもろこしが干してありましたが、昔はポップコーンなんて無かったでしょうからどうやって食べたんでしょうね? 

f:id:naoyafs1:20180717122235j:plain

しかし古い火鉢や鉄瓶、古銭など色々展示してありますね。湯西川の歴史については色々なお話があるわけですけど、少なくとも鎌倉時代には平家の人が落ち延びて来た、と伝わっていますが戦国時代には『この辺りに集落がある』事は知られています。元々日光からもそう遠くないですからこの辺りに人がいない、というわけでは無さそうですよね。道の駅湯西川は会津西街道沿い、ここから歩いて距離はありますが会津に抜ける道は在るわけです。そうなると人が全く通らないとは考えにくいですよね。

f:id:naoyafs1:20180717122302j:plain

ですので最初は逃げ延びて人がいる事を気付かせないようにしていたと思いますが、何十年かした後は『平家と関係無いですよ、地元の者です』とたまたま訪れた人には言っていたと思います。実は湯西川から南会津舘岩の方に山を越せば抜ける道もあります。そういった行き来はある程度経ってからはあったでしょうね。 

f:id:naoyafs1:20180717122334j:plain

温泉地でもありますし日光も近いので江戸時代とかはそこそこ発展していたんだと思います。そうでなかったらこんなに色々なものが残っていないですもんね♪ 

f:id:naoyafs1:20180717122351j:plain

タンスなども立派ですがつづらに注目が行きました。つづらに平家の家紋である蝶が書いてありますよね。そうなると蝶の家紋を使ってもお咎めが無くなってからの時代に作られたものだと思われます。鎌倉時代なら一発で身バレしますもんね(笑) 

f:id:naoyafs1:20180717122419j:plain

鎧兜も展示してありましたがこれは江戸時代のものかと思われます。平安や鎌倉時代の大兜は吹き返し(顔の横にある部分)がデカイんですよね。しかも重いのでその後の戦いでは小さくなっていますし江戸時代は基本的に鎧兜で戦う事は無くなりましたので(それだけ平和だった、という事ですが)見栄えがしてカッコいい鎧兜はほとんど江戸時代のものです。 

f:id:naoyafs1:20180717122443j:plain

極端な例ですが童友社の兜プラモデルでご説明しましょう(笑)こちらが鎌倉時代のイメージで作られた源義経の兜です。顔の横の折曲がっている部分が吹き返しです。 

童友社 1/4 名将兜 源 義経

童友社 1/4 名将兜 源 義経

 

そして戦国時代になると『吹き返しがあると重いし視界が狭くって危ないよ』となります。これも極端ですが黒田官兵衛の兜がこんな感じです。 

童友社 1/4 日本の名将兜シリーズ 朱漆塗合子形兜 黒田官兵衛 プラモデル K9
 

 吹き返し自体が無いですよね。弓矢をよけるのに付いていたそうですが逆に角度変わって顔に飛んできそうですよね(泣)軽そうとは言わないですがこの兜は見栄えを重視していると思いますので勝手ですが江戸時代のものと推測しました(苦笑) 

f:id:naoyafs1:20180717122509j:plain

なのである程度の時期までは『え、平家?知らないっす』みたいな感じだったんだと思いますが江戸時代になると落人狩りなんて事は無いので『落ち延びてきた歴史ある集落』という感じになったんだと思います。

そのあたりは諸説ありますが、同じように平家の落人伝説がある南会津の桧枝岐の人は周囲の地域と違ってすごいキレイな標準語を話すそうです。外部とのつながりが無ければ方言も出ないでしょうからね。そういうお話、結構好きなんですよ♪