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高島平の名前の由来を初めて知りました。

板橋でも有名な地名である『高島平』の由来が分かりました♪

 

板橋区の事を人に聞かれた場合『高島平団地がある・・・』というと『あー』と分かってもらえる事が多いです。

ここには『JRの大きな駅が無い』『有名な特産物が無い』『有名な場所が無い』という事にもつながっていると思います。(板橋駅はありますが一部が板橋区で北区と豊島区の区界にありますので(泣))

お隣の北区で言えば『赤羽!』と言えばすぐ分かるでしょうし練馬区なら『大根!』だったり『としまえん!』と言えますし足立区なら『北千住!』や『西新井大師!』などインパクトがある場所があんまり無いんです・・・。板橋区だから『板橋!』とも言えますが、橋はそんなにインパクト無いですよね(泣)
※あくまでも個人の見解です(苦笑)※

そんな中で抜群の知名度があるのは高島平団地です。そんな『高島平』の地名がついた由来が分かる碑がここ松月院にはあります。 

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境内には豊川吒枳尼天がございます。こちらも小さいですが趣があります。 

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全体的に整備がされていてキレイですよね。大きな木があって静かな風が流れる、そんな場所です。 

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そんな境内にあんまり見た事の無いような碑があります。何か銅像とかがあってもおかしくないのですが大砲のような形をしています。f:id:naoyafs1:20180428131121j:plain

この碑は『火技中興洋兵開祖高島秋帆紀功碑 』といいまして、ざっくり言えば日本で大砲を使った『砲術』を完成させた高島秋帆公の功績を称えた碑です。
元々今『高島平』と呼ばれている場所は幕府の御用地で『徳丸ヶ原』と呼ばれておりました。多分広い平地があったんでしょうね。そこで長崎の出島でオランダ人から学んだ砲術を実際に使って演習した人が高島秋帆公、というわけで『高島平』の名前の由来になったわけです。

このあたりの話は以前板橋区郷土資料館で少しだけ見ていましたが、ここにこんな立派な碑があるとは思いませんでした。

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元々アヘン戦争で清がイギリスに敗戦した事がきっかけで演習が行われたそうですが、江戸時代は基本的に平和でしたので外国からの脅威などもあまり無かったと思います。そういう事が無ければ大砲などの武装もいらないですし、必要な国はどんどん進化していくわけです。この後明治時代に進んでいく中で海外の国との戦力の差というのは大きく影響していきます。大砲はより遠くで正確に砲撃出来れば旧式の大砲に負ける事はありません。

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徳丸が原は元々荒川のそばにある湿地帯で耕作には向かなかったようです。そのため鷹狩りなどに使われていた御用地だったそうですね。その後水田に利用されていましたが都市開発で水田も無くなり団地が出来たわけです。土地があったので演習に利用されたわけですもんね。 

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こうやってまた郷土の歴史を学ぶ事が出来ました♪40年以上住んでいてもそんな事しらないですもんね(苦笑)また郷土資料館に行く際にはそのあたりの資料を見てみようと思います♪