越生といえば梅、梅園が有名ですが
もう一つ推している事としまして
太田道灌生誕の地としても有名です。
太田道灌は室町時代後期の武将ですので
あまり時代劇や大河ドラマなどでは紹介されない時代のため
ちょっと知名度が低いかもしれないですが
江戸城を築城した人物としても有名ですよね。
埼玉県の中でもかなり山の方に位置する越生ですが
道灌のお父さん、太田道真が隠居後越生に住んでいたそうです。
この頃の関東は色々な豪族がいて争いの毎日でしたでしょうから
田舎に篭って好きな和歌などを楽しんでいたのでしょうね。
いくつかある史跡の中で、若かりし道灌が鷹狩りで雨に降られた際に
蓑を借りようと民家をたずねた所、蓑が無いので山吹を渡された話があるそうです。
そんな言い伝えから 山吹が生えている公園があります。
駅から少し歩いたところに山吹の里自然公園という
水車小屋のある小さな公園に行きました。
ここなら歩いていける場所でしたので行きましたが
平日はホントに人がいなくて静かでした。
すぐそばに越辺川の支流が流れていて
水車小屋のそばを水が流れています。
ここの水もとてもキレイですね。
キレイな水の流れはボーっと見ていられます。
しかし人がいないですね(苦笑)
水車小屋に太田道灌の略系図が書いてありましたが
『道灌』と書いていないので(太田資長、と書いてあります)
後で写真を見て確認いたしました(苦笑)
最近勉強し始めていますが
室町時代や南北朝時代は色々な人が出てきますので
なかなか理解するのが難しいですよね。
戦国時代の後半でしたら関東は北条、と分かりやすいのですが
太田道灌の時代は色々なところにお城があったり
豪族がいたりなどありますので理解するのに時間がかかります。
お城や砦の数も数が多いので結構城址公園って色々なところにありますよね。
今みたいに平和な時代ではなかったでしょうから
日々争いが耐えない辛い時代だったんでしょうね。
山吹の里歴史公園は森の中を歩く事も出来たようですが
この時期まだスズメバチなどがいるといけないので止めておきました。
公園にいた間でも誰とも会いませんでしたので
ちょっとリスクが高すぎますね(苦笑)
普段なかなか目にする事の出来ない山々の見える景色は
それだけで来たかいがありました。
車は結構通っていましたので
『アイツ、何一人でブラブラしてるんだろう?』と思われたかもしれないです(笑)
ご飯でも食べて帰ろうかとも思いましたが
気軽に入れそうなお店も無かったので早めに帰宅する事にしました。
誰もいない越生線の社内は日差しが暖かくて
このまま居眠りでもしようかな、と思いましたが
やっぱり景色を見たくてずっと起きていました。
また梅干が少なくなったらお邪魔しよう、と思いました♪