カメラ屋元公式中の人 アオキのブログ

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桝形と武徳殿。

やっぱりお城は大人になってからですね。
知識が無かったころだとピンと来ないですね(笑)

こちらは石垣がシケインのようになっていましてまっすぐ先が見渡せないようになっています。こういうの、お城の中でも怖いつくりですよね。ここを『わー』なんて大勢で突っ込んできたら石垣の裏から弓矢でズドン、ですよ(泣)元々若松城には蒲生氏郷公がおりまして、その頃はまだ江戸時代の前で豊臣秀吉から赴任するよう依頼を受けたので一応守備を強化したんだと思います。江戸時代になったら攻め込まれる事はほとんど無いのでお城は割とのんびりしたつくりになっていますよね。

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この石垣はその頃のものでしょうから、イイ感じにコケや草などが生えていますね。何かお城の紹介VTRなどにこういうところが撮影されているのを見た事がありますが、なんていうんですかね、いい味が出ています♪
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ここは車で通れるようになっていますが、一方通行なので多少安心ですけどもボケっと歩いている人はいるので注意が必要です。同じくボケっと歩いていた人間の一人なので間違いないですね(笑)
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しかし、こんな大きな石をどこから運んだんですかね?山から切り出すにしても大変ですよね。調べてみますとお城の東側に石山、という地域がありましてそこから切り出してきたようです。近いから・・・と言ってもこんなデカい石を運んで来るのは相当大変だったと思います。昔のお城はやはり石垣が無いと多方向からワーッと攻め込まれて終了、となってしまいますから堀や石垣で通路を制限し、一気に敵が入ってこないようにするのが鉄則でした。まあ、今は飛行機やヘリがありますので特に意味は無いかもしれませんが、上空からの攻撃には防御しきれないので戊辰戦争の時にも大砲を撃ち込まれたようですね。とりあえず歩いてくる敵や馬などはこの石垣で万全だった、という感じですね♪
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完全に撮り忘れたのですが、裏側は階段状になっているので石垣の上に登る事が可能です。上から攻撃した方が威力ありますもんね。

堀を先に進みますと雰囲気のある建物がございます。こちらは武徳殿と言いまして、剣道などの道場になっています。
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ちょっと中を覗いてみると刀の稽古をされているようでした。・・・カッコいい・・でも邪魔しちゃいけないのでちょっと遠めに見学していましたが、やっぱり会津の武士っていうのは武芸に秀でていたんでしょうね。結局は稽古をどれだけしていたか、が大きいですからね。ネイティブな強さだけでは戦に勝てないものです。
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入り口に提灯がありましたが、会津松平家の家紋であります会津三葵と旗印であります會の文字(ちょっと違いますが)が書いてあります。こういうの、グッと来ますね♪
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結構色々なところに案内板がありますが、こちらの案内板はコンパクトにグッと詰まったなかなかの説明文ですね。元々蘆名氏が立てたお城でしたが伊達政宗が制圧し、1年で秀吉に取られて(泣)蒲生氏郷が入る、という流れになっています。
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まだお城の内部に入っていませんので先に進みましょう♪見ごたえ十分です♪