馬、もしサラブレッドでしたら400~500キロぐらいの重さがあるんですよ(苦笑)
このデザインのTシャツをWWEの選手が来ていたらゼッタイ流行りそう、とか思うぐらいの物凄いインパクトがある銅像が埼玉県深谷市にございます。
とりあえず『なぜこのような銅像が出来たか?』をお伝えしないといけないですよね。畠山重忠公は平安時代末期から鎌倉時代初頭の武将です。元々畠山家は平家方の武将だったそうですが相模国での合戦では頼朝に合流しようとした三浦氏を滅亡させたりしていましたが、その後房総で挙兵した頼朝軍に参加しました。この時千葉氏、江戸氏などとともに河越氏も参加しています。
その後平家滅亡につながっていくのですが、その際の鵯越の逆落としで愛馬を損なわないように背負って崖を降りるというかなりファンタジックな伝説が残っています。勝者はそれなりに『盛った』伝説があった方がいいですよね(笑)
この辺りとしては『平安時代の馬のサイズ』や『大体、馬を担いで崖駆け下りるなんて出来るのか?』という話もあると思いますが伝説は伝説です。リアルは求めてないですが、多分馬のサイズがもう少し小さかったんだと思うんですよね。今のロバとかポニーぐらいだと思うのですが、サラブレッドよりは小さいはずなんですよね。さすがに400キロぐらいの馬を担ぐ自体腰イッちゃいますのでそのまま転げ落ちる事間違いなしですよ(泣)
現代の馬、というとやはりサラブレッドになるんだと思いますが、こうやって銅像にするとものスゲェ強力な武将、という感じがしていいですね♪ポニー背負ってたらほほえましさが出てしまいますからね(苦笑)
たまたま以前熊谷に行った際に秩父鉄道の案内板に書いてある畠山重忠公の名前を見て検索したらこの勇ましい銅像が出てきて『これは生で見たい』と思いこの日に至ったわけです。誰もいなかったので色々な方向から撮影出来て良かったです♪
台座があるので結構高いポジションにあり、なおかつ背中に馬背負ってますからメチャメチャデカイ像なんですよね(笑)ちょっと離れたところからズームを使ったり、露出補正で明るめにしたりなど色々出来て良かったです♪
この銅像の奥に重忠公のお墓があります。何分鎌倉時代のお墓ですからこれが正しいか分からないみたいなんですよね。
重忠公は今の神奈川県の二俣川あたりの戦で破れて亡くなっています。敗れた、というかあらぬ疑いをかけられて少ない人数でやられてしまったそうです。ですので地元まで戻してお墓をたてたのか、というのもあると思いますね。
このお墓は発掘調査でどのぐらいの時期のものかが分かっているようで、そのあたりの事が案内板にも記載してありました。
ですが、勇ましい武将の像を見に来たわけです。どのお墓がどれ、とかは別にいいんですよ(笑)ちゃんと『こんにちは』と挨拶させていただきました♪
徒歩ではなかなか行きづらい場所ではありますが車ですと比較的簡単に行く事が出来ます。関越道の花園インターからすぐの場所ですので気になった方はぜひ行ってみてくださいませ。そのうち海外からの観光客で混雑するかもしれないですよ♪