カメラ屋元公式中の人 アオキのブログ

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【隠れ忍んで八百年】平家の里を見学、その1。

 以前にも書きましたが湯西川温泉は『平家』と『ダム』が売りになっています♪

 

湯西川温泉にあります平家の落人についての資料館となっております『平家の里』が今回の目的地です。道の駅湯西川からトンネルをいくつも越えてやっと辿り着ける場所がここなのですが、確かに鎌倉時代に『あっちに落人がいるかもしれない』と言われても『あんな山の奥にいるわけないでしょ(つーか行けないよあんな山の先(苦笑))』と言われていたと思います。そのぐらいの秘境です。今はトンネルがあるからカンタンに来れますが普通に考えたら行けないですよ(泣) 

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ここは今では日光市ですが以前は栗山村という栃木県最後の村でした。平成の大合併日光市には今市市足尾町、藤原町など結構な範囲が日光市になりました。ぶっちゃけ湯西川とか鬼怒川、足尾なんかは日光では無いのですが(苦笑)名前にブランドがありますからね♪栃木の北西部はほとんど日光市です。でも、湯西川や川治、鬼怒川など温泉街がある地域も日光市になったので『日光の温泉』というイメージになり観光的にも良かったと思います。そんな旧栗山町にあるのが平家の里です。

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基本的に落人の方々の暮らしぶりや平家に関する資料などがまとまっているのですが、普通の人は『平家』にはそんなに興味が無いかもしれませんね。ちょうど再放送していた大河ドラマの『平清盛』を見ていたので興味があり訪れました。

入口はお城というか神社というか、かなり雰囲気のある門構えです。 

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平清盛が活躍したのは平安時代末期です。亡くなった後に源頼朝による鎌倉幕府が開かれるわけですが歴史好きでもないと注目しない時期かもしれないですね。やはり目が行くのは戦国時代で、それに比べると平安時代南北朝時代などはそんなに華のあるイベントが発生していませんからね(苦笑)

平安時代にはまだ『お城』は無くて『お屋形』に住んでいたのでこんなイメージだったのではないかな、と思います。 

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入口に掲げられている旗には平家の家紋であります蝶の紋が入っています。気付かない人は『ふーん』で終わると思いますが知っていると『おお!!』となります。家紋に関していえばやはり徳川の葵の御紋が有名ですが、他の武将などの家紋も知っていると『なぜここにこの家紋が!』という面白さがあります。 

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門をくぐりますと雰囲気のある石碑がお出迎えしてくれます。

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『隠れ忍んで八百年』というキャッチフレーズはかなりパンチがありますね♪

平家の落人を敵対していたのは源氏の方々だと思いますが(まあ、一回痛い目にあわせていますから仕方ないです)鎌倉幕府があったのはざっくりいうと1180年ごろから1330年ぐらいまでの150年です。その中で40年ぐらい経ってからは源氏自体が色々ありまして3代将軍までは『源』さんなのですが4代目から違う方が将軍になっています。

そうなってしまうと『平家の残党を滅亡させるぞ!』とか言ってる場合ではなかったでしょうから大規模なローラー作戦とかはされなかったと思います。ただ、どのタイミングで『自分、平家っす』と街中に出て行けばいいかも分からなかったでしょうしそれなりに年月が経つとその中での生活がありますから出て行かなかったんでしょうね。 

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それでも八百年っていうのはかなり長いですよね・・・。色々資料を見ますと最初に宇都宮まで逃げてきたところ、お子さん(男の子)が生まれてこいのぼりを立ててお祝いしていたら源氏の人にバレてかなり痛い目にあったそうです。湯西川は宇都宮よりずーっと山奥ですからよっぽどですよね。

それ以来『こいのぼりNG』『犬とか鶏を飼うのもNG』『焚き火NG』など色々な制限があったそうです。とにかく気付かれたらヤバイわけですから仕方ないですよね。こういう事は普段暮らしていて気付かないですよね・・・。

そんな訳で平家の里の見学をしていきましょう♪