やはりここも行ってみたかった歴史のターニングポイントに関わる場所です。
大阪夏の陣がなぜ起こったか?の際に豊臣秀頼が奉納した鐘に書いてある文字の中で
家と康が分かれていて・・・ってオイ!みたいな感じで始まるのですが(苦笑)その奉納した鐘があるのが方広寺です。・・・その言いがかりにも近い理由になった鐘、まだありますよ♪
多分明治時代、開国まではオカルトっぽい事はたくさんあったんですね。電気が無いので夜が暗いのもそういう原因だったと思いますが呪詛とかそういうものがあったわけですよ。呪詛ってわら人形みたいなやつですね。
大河ドラマなどではこういうパターンが多いのですが
・誰かが病気などで亡くなる
・何かおかしい、この人が亡くなったら喜ぶ人がいる
・その人が呪詛をかけているんだ!で殺される
こういう話は何でもありですからね、ホントに(苦笑)歴史物はどうしても誰かが亡くなった、という事実は分かっていますのでこのテイストを入れると分かりやすくなります。
で、この鐘の文字の件から言いがかり的な感じで戦につながるっていうのも大阪夏の陣あるあるですね(笑)
逆に言えばそういう事を大切に考えていたからかもしれないですね。
言葉や文字の表し方で人に災いを起こす事もある、というのはよく考えてみると今も変わらないのかもしれません。
鐘を見てみますと白い枠に囲われた部分があります。
ちょっとズームしてもこのぐらいしか見えませんが 『国家安康』『君臣豊楽』と書いてあります。・・・大きな戦の原因としては小さい文字なんですよね(泣)
方広寺の隣には豊臣秀吉を祀った豊国神社がございます。
こちらは徳川家によって廃絶となったのですが明治天皇によって再興されます。トップが替わると今までの事を否定するのは常ですからね(泣)
絵馬が奉納されていましたが豊臣の馬印でもありました千成ひょうたん型の絵馬でした。
これはなかなか可愛いですね。外国の方が来ても分かるように英語の解説書が置いてあります。・・・だれですかね?飲みかけのコーヒーを置いていったのは?
こちらは明治時代になって建立された神社ですから他のお寺に比べたら新しいものでしょうがそれでも趣のある建物でしたね。
豊国神社、結構大きな敷地にあるのですがここは元々方広寺の大仏殿があったところです。豊臣秀吉が作らせたものであの奈良の大仏より大きかったそうです。雷や地震などの火事で抄出してしましたが現在は豊国神社として使用されている場所も豊臣家ゆかりの場所なんですね。
祀られているものや作った人などが関係してお寺や神社が無くなったり再度作られたりするのも日本の歴史の一つである、というのがよく分かりました。
雰囲気もよい神社ですしお隣は京都国立博物館ですのでぜひ立ち寄っていただきたい神社ですね♪